ニシはオールラウンダー(仮)

サイクルフリーダムレーシング/TeamGOCHIに所属するニシの(自転車)日記です

11/11(日) ツールドおきなわ 市民100キロU39


終わってからすぐに

卒業試験なるものがあったせいで

本命レースだったにも関わらず

2週間もレースレポートを延ばしてしまった😇

ブログは鮮度が命とよく聞くけれど

ここまできたら一周回って

熟成させた方がきっと味も出るということで( ◜◡◝ )


書いてないものの前日までは

調整を兼ねて距離と時間を減らしつつ

たまに踏んでキレだけは保つ、

ということをしていた。

その甲斐あって疲労が抜けるにつれて

かなり脚が軽くなり仕上がりは上々の出来。

唯一の不安としては20分弱上る与那だが

前日ごちの谷さんと試走したところ

終盤までは牽いてもらってではあるものの

18分51秒と本番に負けず劣らずな好タイムを刻み

本番に向けて唯一の不安要素も払拭された。

ちなみにその後の学校坂では

当初踏む予定はなかったものの

ついつい楽しくなっちゃったらしい谷さんが

徐々に踏んでいくのについていった結果

5分35秒とこれまた本番並みのタイムを刻んだ笑


そんなこんなで迎えたレース当日。

今回はヒガシが前日夜に沖縄入りだったので

那覇の実家を未明に出て一路会場まで。

前日の疲労はわずかにあったものの

前日軽く踏んだ方が調子は良いので問題なし。

カーボローディングも上手くいき

57キロまで絞った体重は1キロ増の58キロ

まさにターゲットとした体重そのもの✌️

あとはラストまで脚の使いどころを慎重に見極め

スプリントに絡むことさえできれば

入賞は確実だろう、と考えて

スタートまでの間で展開を色々と予想。

例年このカテゴリは羽地までは

そこまでバチバチせずにいくものの

今回は知っているだけでも数人

強い人達がいる上、逃げて結果を残している人も

中にはいるというこもあり

どこかしらでその人達が複数人で逃げをうったら

すかさず乗っていくことにし

そうでなければ極限まで脚を溜めて

スプリントを見越した走りをする作戦でいこう

と脳内会議が採択されたタイミングで

召集がかかり整列、そしていざスタート。

今年は前年の大落車を踏まえてかローリングはなく

最初の奥の上りからじわじわと

それなりのペースで始まった。

上り途中は番手を落としてでも

踏み過ぎないように注意しつつ

上り終わりでちょろっと前に出て

下りは前の方で無事にこなして平坦へ。

ここではマークしていた選手達が

前の方にいたということもあり

常に5〜10番手付近をうろついていたのだが

正直ここはもう少し後ろに下がって

完全に脚を止めてた方が良かったかもしれない。

そしてついに鬼門である与那へと到達、

20分弱の我慢大会が幕を開けたのだが…

まさかの初っ端からハイペースで少々戸惑う笑

集団は完全に一列棒状で伸びており

先頭2〜3人はご丁寧にローテなんてことまでしてやがった😇

ということで徐々に番手を落としつつ

脚に乳酸が溜まらないようにシッティングメインで

ケイデンスを上げて対応していたものの

先頭がペースを緩めることはなく

徐々にジリ貧な感じに。

途中から堪らずダンシングも使い始め

何とかラスト1.5キロほどまで到達。

KOM手前1キロからは下りと上り返しなので

実質ラスト500m粘れば勝ち、という状況。

そんな中ラスト20秒ほどで1キロ看板、というところで

かなりしんどかったのもあり

ここまできたら下りもあるし

集団でクリアは固いな、と安堵して

少し脚を緩めてしまった。

これが今回のレースの大きな反省点。

下りに入ったタイミングで先頭集団が

思ったより離れていることに気付き

必死で追いかけたものの

下り切ったタイミングで完全に姿が見えなくなり

まさかの学校坂に入る前に先頭から脱落してしまった😭

が、例年ここからしばらく集団は緩むため

まだ可能性はある、と考え

ひたすらに踏み倒してついに前に集団の姿を捉える。

しばらく平行移動が続いたものの

短めの上りでスプリントしどうにかドッキング。

一桁ゼッケンも何人かいたため安堵したものの

よく見ると他のカテゴリの人も多く

そこにいた知り合いに聞いたところ

まさかの第2集団であった…

だがここまできて諦められるわけもなく

そこにいた100キロの有力選手全員に

「ローテを回して追いつきましょう!」

と声をかけて回り

追いついたあとのことは

追いついてから考えればいいよね、

と言わんばかりに脚を使い必死に追走ローテを構築。

といっても単独で追いついてしまえるような

ペースでしか走っていなかった集団であり

わかってはいたもののローテは上手く回らず

慶佐次の補給所あたりで完全に諦めムードに。

千切れてからがかなり長かったため

何度も自分の弱さに悲しくなりながら

とりあえず距離を消化して羽地まで。

なりふり構わず踏んだこともあって

羽地では脚がピクついて怪しくなっていたが

これまでツキイチで後ろにいた人達には

絶対に負けたくないと思い

しっかり目に踏んで先を目指す。

ピーク前後で脚の合うグルペットを形成し

その後は淡々と(といってもハイペースで)

ゴールまで。

リザルトとしては14位と

思ったより上だったものの

優勝を狙っていた身としては

なんとも不完全燃焼な結果に

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敗因としては例年の展開やタイムに

少し重きを置き過ぎていたことが考えられる。

去年は与那の登坂は19分ちょいであり

かなり余裕を持ってぬくぬくできたので

そこまで変わらないだろう、と考え

それよりも後半のアップダウン耐性をつけようと

3〜5分の登坂をひたすらこなして

終盤でも序盤と遜色ないタイムで上れるようにもしておいた。

その甲斐あってか学校坂以降の坂のタイムは

どれも悪くないものだったのだが

肝心の与那を疎かにし過ぎた結果

後半のアップダウンを戦いの舞台に

することすらできずに終わってしまったのが

悔やまれてならない。

ちなみに今回の与那の登坂ペースは17分半と

全カテゴリ合わせても1番速かったようで

千切れたニシですら18分フラットと

かなりのタイムを叩き出していた。

他の要所要所での上りも

stravaを見たところによると

先頭集団は中々のタイムを刻んでおり

全体を通して参加者のレベルが

高くなっているような感じだったので

来年以降出るとしたら

与那のタイムもそれを見越して練習し

長めの登坂力も身につけていく必要があると痛感した。


あとこれは関係あるかどうか知らないが

ゴールした後何か違和感があり

前輪のタイヤを見ると地味にパンクしていた…

チューブラーのため徐々に空気が抜けており

そのため最後まで走りきることができたものの

いつからパンクしていたのかは完全に謎。

もし与那の時点で既にパンクしていたとしたら

今回の結果に影響を及ぼしていたりもするのかな

と思ったり思わなかったり。

機材に言い訳を求めたくはないが

ここまで練習を重ね、体重管理や

コンディション調整など

1年の中で唯一と言っていいほど

全てをやり切って臨んだレースであり

自分で言うのもなんだが

それなりに戦える実力はついたと本気で思っていた。

それがあんな序盤でレースに敗れてしまった

とは正直認めたくないのが本心であり

それが転じての疑いの目である笑

今でもちょくちょく与那以降の

レースが終わってからの果てしない距離を

思い出して悔しくなるが

まあ何にせよ終わってしまったものはしょうがないので

来年の沖縄を見据えて早々に

準備を重ねていってリベンジしたいと思う。




追伸

今回も去年に引き続き谷さんとヒガシは

ニシ家で盛大に洗礼を受けましたとさ

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めでたしめでたし